「褒める」と「叱る」子育て から「一緒にやる」子育てへ

スーです。

 


いいことをしたら褒める
悪いことをしたら叱る


それは、どちらも子どもの教育のため…は、ウソ? ホント?


いいことも悪いことも、その出来事は、ただのきっかけであり、
その時の行為に対して、褒めているのか?叱っているのか?は、
親が考える社会の常識を子どもに教えているだけだと感じます。
親がいいことだと思えば褒めるし、悪いことだと思えば叱る。

 

 

子どもを褒めて育てる場合

誰もが褒められると嬉しいので、褒められればその行為(手伝い、宿題等)を続けます。
しかし、褒められることが目的になると、
褒められることに取り組み、褒められなかったらやらなくなる。

本人が褒められると考えてやったことが、期待通りに褒められないと
逆に、やる気自体を無くしてしまう。

 


子どもを叱って育てる場合

危険な時や間違った行為は叱らなければなりません。
叱るほどのことでなくても、子どものためを思い、口を出すこともあります。
誰しも叱られることは嫌なので、その行為を(1時的に)止めようとします。
即効性がある子どもの矯正方法です。
しかし、恐怖心や面倒なために止めているだけだと、同じことが繰り返されます。


褒めた場合でも叱った場合でも、他人の目を気にした行動です。
どちらも、上から「できる」「できない」の評価を受けた行動になります。

 

 

この解決策は、「褒める」と「叱る」ではなく、「一緒にやる」


何事(勉強、運動、遊び、料理)も「一緒にやる」


できたら、一緒に喜び
できなかったら、一緒に考える

子どもの成長は二人三脚。
我が家では、五人六脚。


大人と子ども2人でできるようになったら、それを喜び。
次は、子どもと子どもで協力して一緒に出来るように挑戦する。
そうなれば、教える子ども(おそらく兄)が、教えることにより成長する。
「できる喜び」と「教える喜び」で2乗の成長。
何事も教える時に、理解が強烈に深まっていく。

 

 

 言われたことをやる

  ↓   親子で一緒にやる

 言われなくてもやる

  ↓   子が子に教える

 やりたいことを言う

  ↓ 子が考える

 主体性のある子に育つ

  ↓

 褒めることも、叱ることも必要ない
  →そもそも、子育てにはどちらも不要。
     自分の人生を自分で考え、自分で切り開く。親はその手助け(全力で応援)


褒める(そそのかす)も叱る(恐怖をあおる)も大人の都合で子供を動かしているだけ


※私の場合、怒りが込み上げてきたら黙って寝室に行って読書タイムです
 それでおさまる怒りであれば、ただの大人の都合です

 


一番の叱るべき行為は、親が子どものやりたいことを先延ばしすることです
子どものやりたいことは、その瞬間に応える。

私は
20時にサッカーしにいくこともあります。
朝6時にサッカーに行くこともあります。


そして、子どもを褒めるのではなく、自分を褒めよう!!

(家事残っているけど)   子どもと遊ぶ私、素敵!
(部屋散らかっているけど) 子どもと遊ぶ私、素敵!
(もう寝る時間だけど)   子どもと遊ぶ私、素敵!
(まだ宿題終わってないけど)子どもと遊ぶ私、素敵!

 

 


「一緒に喜ぶ」「自分の事を褒めること」

が親子ともに成長につながると感じています。
子ども褒めなくてOK、子どもを全力で応援している自分を褒めよう。