帰省で考える子どもの自由と大人の自由
8/9-8/14に帰省し、そのまま夏休み気分の スーです。
帰省の目的は、墓参りと親孝行と化しています。
両親も子どもの顔より、孫の顔が見たいでしょう。
帰省のモヤモヤをまとめます。
「実家に帰省した時の子ども目線」と「自宅に帰宅した大人/子ども目線」
「実家に帰省した時の子ども目線(大人)」
50歳になっても、親からしたら、自分の子どもは、死ぬまで子ども。
実家に帰ると、日頃の親の気分から、子どもの気分に戻り、
料理洗濯を甘え、のんびりとした時間を過ごす。
一方で、絶対的な選択権がないために、
自分がやりたいことを100%実行することが出来ない。
私の実家は陸の孤島のため、車がないと買い物にも行けない。
どこか行く場合は、お願いする必要がある。
嫁の実家は、交通機関が充実しているものの、
私の独断で出かけることも出来ず、
新聞読んだら、後は、家族で出かけない限りはやることがない。
「実家に帰省した時の子ども目線(子ども)」
目に入れても痛くない孫は、自宅では禁止されていることをやりたい放題。
スー子「ジュース飲みたい」
祖父母「はい、どうぞ」
祖父母「おいしいものあるよ~、食べる?」
祖父母「花火しようか」
祖父母「今日は何が食べたい?何でもいいよ」
祖父母「テレビ?いいよ。」
祖父母「ゲーム?いいよ。」
祖父母「…」
父母は、口出ししにくいため、子どもたちはやりたい放題。
(父母厳しく、祖父母が甘やかすのは、いいことだと思う)
「自宅に帰宅した大人目線」
掃除洗濯料理は必要だが、やりたい時にやりたいことができる。
お腹すいたら何か食べるし、眠たくなったら勝手に寝る。
テレビが見たかったらテレビを見るし、本が読みたかったら本を読む。
買い物に行きたかったら、子ども達を留守番させて、出かける。
自宅って素晴らしいなぁ。
「自宅に帰宅した子ども目線」
スー子「牛乳飲んでいい?」
スー「ダメ。飲みすぎ。前もお腹壊したでしょ?」
スー子「テレビ見ていい?」
スー「その前に、部屋片づけて」
スー子「ゲームしていい?」
スー「夏休みの宿題は終わった?」
スー子「…」
スー「…」
スー子達、禁止されてる…。
何をするにも許可を取らされている。
しかも、父(スー)に「自分で考えて行動しろ!」と言われるから、
自分で考えて行動すると、「何やってんねん!!」と怒られる。
→「牛乳飲んでいい?」と聞いてくる。牛乳は好きなだけ飲ませよう…。
主体的に動けと言われて、行動すると、「報連相」と言われる社会のお決まりを
子どもにやってしまっている。反省。
まとめ
「子ども」と「大人」の両方を経験すると、自由が楽しさのキーになる。
大人かルールを、大人に有利なものにするから、
子どもの自由な発想や行動を阻害していると身に染みて実感。
なので、あえて、子どもには、お腹を壊すまで牛乳を飲ませようと思います。